佐藤康行先生とメモと(旧字)聴

*これは誰かのことではなく、ぜんぶ私自身の戒め、備忘録として書いています

ありがたいことに今まで何回となく佐藤先生に質問する機会に恵まれています
また、それこそ星の数ほど質問者と佐藤先生の質疑応答を耳にする機会があります
リアルタイムに講座やフォローの場もそうですし、CDや教材などもそうです

その都度よくメモるんですが
果たして、メモるということがどれほど意味があるのか・・
わからなくなるときがあります・・

というのも、言葉をリアルタイムで一言一句違わずメモるということは、速記者でもない限り不可能に近い
ということは、キーワードとか、印象に残った言葉しかメモれない
それもあくまで自分が要点だと捉えたものであり、場合によっては勝手に短くしちゃったり、そもそもピントが合った大事なところかどうかという面もあるし・・

いやそれならまだしも、多くが後で読み返すときに部分部分しかメモれていないので、部分部分の言葉から「自分なりに翻訳して解釈」してしまう・・
そういうメモの使い方をすると、途端に本質から大きくズレてしまう・・・

しかしそのメモが知識としてではなくその時の真我の記憶を呼び覚ます呼び水としてのアウトプットな役割なら、メモる意味は多いにあるのかもしれない
思い返せば、そうとしか思えないことがいっぱい
しかし、それが知識を得るためのインプット用メモになってしまうと・・

またメモる方に意識を集中するあまり、佐藤先生の言葉行動とか、質問者のちょっとした変化などを見逃してしまいがち・・
むしろそこが、多くの場合メモよりはるかに重要かなって・・・

そういえば昔、佐藤先生自ら真我開発講座をされているときは、「メモしないでください」と言われていた
知識を詰め込む講座ではないし、真我のアウトプットが目的なので、当然といえば当然
佐藤先生の発する言葉は、知識を伝えるための言葉ではないですもんね。。。

ましてや、質問者によって置かれた境遇などが違い、佐藤先生の回答も当然変わるので
回答だけをメモするのは、そういう側面だけで見れば意味がないかもしれない・・
(別の側面があるので、意味なくはないはずですが)

また、人と会話をするときも、自分の都合のいいように勝手に解釈してしまう傾向があることを、最近の人間関係で痛切に感じました
書くメモもそうですが、こちらはむしろ記憶(メモリー)のほうですね
以前から課題の一つでありますが、なにより相手に迷惑をかけてしまう・・

もうひとつのサイトを運営しているのも、そういった独自解釈を挟まないための挑戦の一環でもあります

それにしても岡田のミタの岡田社長
佐藤先生とのやり取りを忘れないのは、魂で聴いているから忘れないらしい;;(∩´o`∩);;
魂で聴くかぁ・・・
ひとつ思い出しました
岡田社長がその昔受講生のころ、真我教室かなにかにゲストで呼ばれたときのテープを聴いたことがあります

そのとき岡田社長が、「聴」という字は、旧字体では王様が耳を傾けて一心に聞こうとする様であるという解説をされていたことを思い出しました
(記憶頼りです。うろ覚えですが)
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一心にともかくやってみます

今日もブログをご覧いただきありがとうございます。
2000年にYSメソッド開発者の佐藤康行先生の著書に出会ってから、ずっと佐藤先生のことを師匠と思い、自身の癖などで遠回りをしつつも真我の実践を毎日継続中。
(国際愛称でシンガスキーとも名乗っています)

shinga-YS-worldロシア支部初代支部長
全国ユニバーサル友の会会頭(2016秋より)

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